いつまでも最終回

終わる終わる詐欺です

グラスの縁を走る水滴

昨晩の僕らみたいだコーヒーのグラスの縁を走る水滴

http://utanohi.everyday.jp/open.php?no=1952c&id=18

最近はめっきり短歌について考える時間が減ってしまった。まあ周期的な変動傾向は自覚するところであるから、また気が向いたら集中すれば良いのだけれど、「半年たったんか」2019年下半期分の候補作くらいは見繕っておきたいところ。

 

さて、みなさんは最近何を楽しんでますか?私の最近の発見をご紹介しましょうか。海外旅行で訪れた場所を後からGoogleMapで再訪すると、思い出が蘇ってきて楽しいんですわ。ただ、全てを思い出すことはできない。iphoneには写真を撮影した際にその画像データとともに撮影場所を記録する機能があることを最近知ったが後の祭りである。3年も4年も前の旅行で訪れたお城の名前なんぞ写真だけ見て0から思い出せる訳がない。お手上げといいたいところだが、GoogleMapにはわずかながら訪問時の痕跡が残っていた。泊まったホテルやら観光名所やら、目的地として検索した場所にはその履歴が残り、強調表示されるのである。ああありがたや、そういった場所をなぞってはそこから記憶の糸を少しずつ引き出し、他の訪問先をも見つけ出す。そして今度は忘れないように、スター付きで場所を保存しておく。きっといつかこれが役に立つと信じている。

海外旅行のみならず、国内旅行についても似たようなことをやりたいが、あいにく中々時間が取れていない。先月までの孤独状態とはうってかわって、今月は毎土日忙しい。ありがたいことに知り合いが代わる代わる広島を訪ねてきてくれて、なんと3週連続で宮島へ行っている。いい加減飽きた、、とみせかけて、行く度に自分の中で案内ルートをどんどんアップデートしていくという取り組みを密かに楽しんでいる。広島から関東に戻って数年数十年経ったら、このルートも忘れてしまうのだろうか。スター付きで保存しておかなければ、、、(まあ飲食店はどうせ様変わりするのだろうけれども)。

街も何もかも移ろいゆくものである。その記憶をとどめておくにはどうしたらいいか。もしかしたら松尾芭蕉のごとく、各地で一句詠むしか無いのかもしれぬ。私は松尾芭蕉についてほとんど知識がないし、俳句川柳にも明るくない。果たして彼はどこから資金を調達して日本中を旅していたのか?パトロンがいたのだろうか。一度とことん調べてみなければいつまでもギャグ漫画日和の幻影を負い続ける羽目になろう。さて、また豆知識を披露させていただきたいのだが、以前小耳に挟んだところによれば、「松島やああ松島や松島や」という句は芭蕉の作品ではないらしい。これを知って私が感じたのは「なあんだつまらない」という落胆である。芭蕉には、この句が世間で絶賛される様を「あいつら何もわかっていないじゃないか」とあざ笑っていてほしかったし、もしくは調子に乗って各地でこの「松島や」構文を連発してうざがられていてほしかった。そんなエピソードがあればもっと芭蕉という人に興味も湧くというものである。

あざ笑う、と書いたが、結局俳句含め作品というものは鑑賞者にその意味を委ねるものである。先日、「星野しずる」がTwitterでバズっていたのをみた。星野しずるは佐々木あららが生み出した架空の歌人でその正体は、「短歌で使われていそうな表現」のデータベースを用いて短歌を自動生成するスクリプトである。スクリプトが生成する短歌には誰も意味を込めていないが、不思議と意味が通ったり、解釈できたりする。鑑賞者に意味を委ねる、という部分をうまく利用した作品であると思う。私はこの歌人を「誰にもわからない短歌入門」(著 三上春海・鈴木ちはね ほか 稀風社)という本で知った。そこでは星野しずるに対する考察から発展して、人間が自由意志を持つという考えは幻想なのではないか、との指摘がなされており読んでいて非常に面白かった覚えがある。

最近ニュースで「恋するAI歌人」というものを知った。恋愛相談AIのログや、与謝野晶子をはじめとした女性歌人の詩集から学習したAI歌人である。私も機械学習をかじる者として、一度は機械学習を用いた短歌の自動生成について思いを巡らせたことがある。しかし単純な自動生成が星野しずるを超えられる気がせず、手をつけていない(そもそもそこまで技術がない)。一方で、恋するAI歌人は「恋愛」にテーマを絞っているし、意味の通った短歌を生成しようとしている点で星野しずるとは方針が異なる。非常に面白い試みだと思った。

 

なーんてつらつら書いてみました。

さてGoogleMapへのスター付け作業に戻るとするか。